C 熱海旅行
大学生というものは、1年の半分がホリディだ。
子供の頃から母に、「大学は社会で認められた唯一の遊び場なんだから、絶対に行きなさい」と言われ続けたワタシ。
確かにその通りだと納得しながらタメイキをついていた。
いくらワタシが休みでも、アディが休みでなければ意味がない。
働いているアディを横目に、たとえ女友達であろうと、遊ぶ気にはなれなかった。
アディが唯一取れた連休を利用して、会社の保養所のある熱海に1泊2日の旅行する事になった。
長い夏休みに入って、更にヒマをもてあましていたワタシに、アディが企画してくれたのだ。
なんとその保養所、1人1泊500円という格安。
お父さんが家に帰らなくなり、仕送りも停まって、アディはお母さんのタメに、家に給料の半分をいれていた。
ワタシも兄弟が多いため、仕送りを一切もらっていなかった生活。
奨学金で家賃をまかない、生活費は自分のバイト代。
そんな2人にとっては保養所だけどw、すごく大きなイベントだった。
出発は朝早くからということで、アディは2日前に一度、実家に帰った。
水着を取りに行きがてら、作業着の冬服を持ちかえるためだ。
そして前日、ワタシはアディが帰ってくるのを今か今かと待っていた。
その時電話が鳴った。
お母さんだった。
「もしもし?」
「あ、イシスちゃん? あの、アディの母親ですけど」
「あ、どうも。お久しぶりです」
「あのね、いきなり電話しちゃってごめんなさいね」
「いえ、どうかしましたか?」
「あの、、、イシスちゃんは洗濯しない子なのかしら?」
「?」
「それともアディのだけ洗濯してくれないのかしら?」
「あの、なんの話ですか?」
「そんな風に扱うなら、あの子を返して!!」
お母さんが何の話をしているのか、全く見当がつかなかった。
ただ分かるのは、お母さんが声を震わせて叫んでいるということだけだった。
「あの、お母さん、とりあえず落ちついてください。何があったんですか?」
ワタシは泣き叫ぶお母さんを、とにかく落ちつかせる事だけを考えた。
お母さんは嗚咽混じりに言った。
「昨日、アディが大きな荷物を抱えて帰ってきたの。そしてすぐ出ていったわ。
今日、私が布団を干そうと押入れを開けたら、あの子の作業着がたくさん入ってるバッグが出てきたの」
「あ…」
「ぐちゃぐちゃになって、汚いままよ。きっと私に見られたくないって押入れに隠したのね。
そんなあの子の気持ちを考えたら…。あなたなんかにまかせておけないって思って電話したの」
やっと話が分かった。あの作業着だ。
昨夜、彼は大きなスポーツバッグに冬服を詰め込んでいた。
泥まみれになってしまって何度手洗いしてもキレイにならなかった作業着も入っていた。
ワタシはアディに、どうやってキレイに落とすのかお母さんに教えてもらってほしいと言った。
けれど、夏の衣替えを機に、作業着がリニューアルするからこれはもう着ないからいいと、頑なに拒んだ彼。
もちろん洗ってはあったけれど、ぐちゃぐちゃに詰め込んでいたし、お母さんのように新品のように洗えていなかったから、勘違いしてしまったのかもしれない。
「それはですね。。。」
勘違いとわかっても、どう説明したらいいのかわからなかった。
確かにワタシも横着になっていたのは事実。
どうしてもキレイにしたかったのなら、ワタシが直にお母さんに電話すべきだった。
それでもとにかく順を追って説明した。
お母さんはワタシの言葉に、次第に落ちついてきて、最後には、
「じゃぁ、隠したわけじゃないのね?」と聞いてきた。
「ワタシには、押入れに放り込んできたと言っていました。どちらにしろ、至らなかったのはワタシです。
もうしわけありません」
「そう。。。じゃぁ、あれは私がもう一度洗っておくわね」
「ありがとうございます」
「あの。。。」
「はい」
「私が電話した事、あの子には内緒にしておいてくれないかしら」
言葉を詰まらせながら、お母さんは続けた。
「きっと、あの子が知ったら怒ると思うから」
「・・・はい。わかりました」
「それじゃ、またね」
その間にアディが帰って来ないことが不思議なくらい長い電話だった。
最後には冷静だったし、もう大丈夫だと思っていた。
ワタシはアディに電話をした。彼は今、明日のタメにガソリンを入れているところだと言った。
すぐ帰るよと言う優しい声に、ワタシは分かったと言い、電話を切った。
迷った。言うべきか、言わざるべきか。
告げ口をしたいのではない。ただ、ちょっと様子がおかしかった。
でも、約束もした。
アディが家に帰ってくると、明日のタメに早くに寝る事にした。
待ちに待った旅行。このことでお互いが最悪な気分になるのも嫌だった。
帰ってきたら、それとなく言ってみよう。そう心に決め、ワタシ達は眠った。
翌日は見事な晴天だった。
方向音痴のアディのタメに、ワタシはひたすら地図を見ながら熱海を目指した。
海なし県で生まれ育ったワタシは、海を見ただけで興奮してしまう。
ましてや、彼氏と行く初めての海。水着にだってなるのは何年ぶりだろう。
旅行はおもしろいくらい順調だった。
おいしいものを食べて、海に2人で浮かんで、夕日を浜辺で見て。
2日間はあっと言う間にすぎた。
そしてけだるい体で帰路についていた時。
アディの携帯が鳴った。
「あれ? なんだろ。もしもし」
ワタシはまだ余韻の中にいた。帰りの有料道路の夜景を見ながら、楽しかった海を振り返っていた。
アディは車を路肩に停めた。
「・・・それで、大丈夫だったんですか」
アディの深刻な声を聞いて、現実に引き戻ったワタシは、遠くを見つめるアディを振り返った。
「はい。…はい。今、厚木あたりです。はい、すぐ帰ります」
電話を切ったアディに、聞く。
「何か、あったの?」
「・・・母さんが」
「お母さん?」
咄嗟に一昨日の電話がよみがえる。嫌な予感は当たった。
「手首を切った」
「っ!!」
ワタシ達はそれから無言で夜の道を飛ばした。
何も言えなかった。
何かを言ってしまったら、全てが壊れてしまうような緊張感が車内にはあった。
行きとは正反対の重苦しい空気のまま、車はワタシのマンションに到着した。
「おまえは、家で待ってて」
「大丈夫だったの?」
「あ、あぁ。命に別状はなかったらしい。
ただ、おばちゃんとかが集まってるみたいだから、俺一人で行ってくるよ」
「。。。わかった」
「じゃ」
「あ、」
「ん?」
「うんん。なんでもない。待ってるからね」
「おう」
走り出す車。ワタシはそのランプが見えなくなるまでずっと立ち尽くしていた。
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